イエローカード・レッドカード
ワールドカップ明けから4試合勝ちがなく、引き分けが続いていたジュビロ磐田が久しぶりにベガルタ仙台に勝った。この試合でも何枚かのイエローカードが出された。夏休みに入った小学4年生の孫にカードの歴史を教えられた。孫が図書館で借りてきた本の中に、なぜカードという判定表現の方法が出来たのかが書いてあり、孫に教えられた。40年以上サッカーバカを自称していた私としては恥ずかしい・・・・。孫の話を下記に記す。
1966年のワールドカップの準々決勝、イングランド VS アルゼンチンの主審を務めていたドイツ人のルドルフ・クライトラインはアルゼンチンの選手にドイツ語で退場を宣告した。言葉が通じず退場までに時間がかかた。その時、審判を務めていたケン・アストンはどうしたら言語を話さないで直に、解りやすく選手や観客に警告・退場を表現する方法は無いかと帰りの車を運転しながら考えていた。その時、信号が赤で彼は車を止めた。信号の「赤・黄・青」が目に留まった。これだと思いFIFAに提案。それがきっかけでイエローカード・レッドカードが生まれた。1970年のワールドカップ メキシコ大会から採用になった。